
【松本治ライブレポート】
『歌と木管アンサンブル feat.大野えり』
2023年11月13日 at 新宿PIT INN
松本治が大野えりとタッグを組んだアルバム『Duke on the Winds feat.Eri Ohno』の発売日である2023年11月13日、老舗ジャズライヴハウス<新宿PIT INN>でスペシャル公演が行われた。太田朱美(fl)、小林豊美(fl)、小森慶子(cl、bcl)、中山拓海(as)、本藤美咲(bs,cl)が奏でる木管楽器&米木康志が鳴らすウッドベースの音のみで紡ぎ出す、繊細且つ大胆な美サウンドと、ベテラン・ジャズ・ヴォーカリスト、大野えりのクリエイティヴな歌が融合した唯一無二のステージで、コンダクターは全楽曲のアレンジを手掛けた松本治。この日は、彼が再構築したデューク・エリントンのナンバーの中から10曲を選んで収録したアルバムのお披露目ライヴではあったが、オーディエンスの前で演奏するのは2回目だ。
実は、一夜限りの予定で今年3月に行われた初ステージが大成功となり、多くの観客がCD化を望んだ。大野も形に残したいと強く願い、松本も賛同したことで『Duke on the Winds feat.Eri Ohno』という作品が誕生したのである。1回のライヴがアルバム制作の起爆剤となり、スケジュール調整も難しい多忙な8人の音楽家が一同に会してレコーディングを行ったのが初演から約半年後の9月。松本のアレンジに惚れ込み、木管アンサンブルの美しさをより多くの人に伝えたいという大野の熱意があったからこそ瞬間が永遠に昇華した。

メンバーが舞台に登場すると、著名なジャズ・ミュージシャンも混在しているほぼ満席の客席から盛大な拍手が沸き起こる。
このプロジェクトではトロンボーン奏者の顔を封印した松本がマイクを握り、1部はエリントン以外の楽曲も含む5曲、2部はアルバム『Duke on the Winds feat.Eri Ohno』の収録曲を全て披露するとメニューを紹介。それを大野が流麗な英語で訳したのは、会場に居た複数の外国人オーディエンスに対する心配りだろう。
オープニングは1944年に発表された<I’m Beginning To See The Light>。軽やかな木管アンサンブルとリズミカルなベースの音が周囲の空気を揺らし、抑揚を効かせた歌声がウネリを作る。大野が唄ったワンコーラス後の滑らかなソリ、力強く弦を弾く米木のソロ、自然に顔がほころぶスウィングな幕開けである。続く、名バラード<Prelude To A Kiss>は、気軽に口ずさめるメロディではないため、自らチャレンジする歌い手は少ない。けれども、大野は卓越したプレイヤー陣の緊張感ある演奏と交わりながら、松本の緻密な譜面を見事なまでに立体化させた。

日本では七夕近くに唄われることが多いと大野がMCで紹介した<Star-Crossed Lovers>では、最後の音が消えた瞬間“いやあ~、綺麗じゃん”と松本が感嘆の声をあげる。達成感と安堵感の入り混じった表情を素直に見せるメンバーたち、相好を崩すヴォーカリスト、ご満悦な指揮者の背中に拍手をクレッシェンドさせるオーディエンス。
3曲のエリントン・ナンバーに続いて披露したのは、ジャズ・ベーシスト、チャールス・ミンガスがデュークに捧げて作詞作曲した<Duke Ellington’s Sound Of Love>だ。ミンガスをはじめ、多くのミュージシャンにリスペクトされているエリントンだが、松本がその音楽に出逢ったのは一体、いつだったのか。開演前の楽屋インタビューで尋ねたところ、中学1年生と答えてくれた。
「クラシック愛好家の親父が、壊れた蓄音機の代わりにステレオを買ったんです。サービス品として視聴用のレコード3枚が付いていて、その内の1枚がアルバム『ポピュラー・エリントン』でした。それまで聴いたことのないサウンドの美しさにびっくりし、以来、エリントンの大ファンです」
一方、大野もエリントンを敬愛しており、自身名義のアルバムにもレパートリーを録音している。
「昔から唄っていたわけではないの。だって難曲ですからね。それでもチャレンジしたくなったのは、唯々“好きだから”のひと言に尽きます」
さて、前半のラスト曲は意表を突いてコール・ポーター作詞作曲の「Easy to Love」だったが、何故、エリントン関係以外のナンバーを松本は編曲したのか、その理由はライヴの最後で判明する。

2部は予定通り、アルバム『Duke on the Winds feat.Eri Ohno』に収録した松本アレンジのエリントン・ナンバーを順に演奏していった。
木管アンサンブルのしなやかな美しさが匂い立つ<Solitude>に始まり、斬新な編曲に目を剥く<Do Nothing Till You Hear From Me>。このアレンジで唄うのは、かなり至難の業ではないか?と思わずにはいられないハーモニー。それは<I Got It Bad And That Ain’t Good」も同様である。そういえば、松本は楽屋でこんなことを言っていた。
「僕が書いた手書きの譜面をメンバーに渡すため、写譜屋さんに出したら“これ、本当に唄えるんですか?”と驚いていたので“大丈夫だよ”と答えました。リハーサルで演ってみたら“ほらね”って(笑)」
ヴォーカリストを含むメンバー全員を信頼しているからこそ、アレンジャーは手腕を発揮出来るのだ。
「譜面をちゃんと読むことが出来て、アドリヴ・ソロもとれる。しかも、僕のイメージを上回るプレイをしてくれるミュージシャンは中々、いません。こんなにも素晴らしいメンバーに出逢えて本当に嬉しいです」

話をライヴに戻そう。オリジナル・ヴァージョンの衝撃的なアレンジに大きなショックを受けて編曲したという「Take Love Easy」、ベースが抜け、木管楽器5人と大野だけでストーリーを描いた「Something To Live For」、プレイヤーのアヴァンギャルドなパフォーマンスにも圧倒された「A Flower Is A Love Some Thing」と固定観念を覆される音風景との出逢いに茫然とするばかり。
ところで、木管楽器5人+ベース、そして歌という編成は世界的にも珍しく、もしかしたら日本ではお初かもしれない。発足のきっかけは、松本が“美しいと思う編成”で“美しいアンサンブル”を作りたかった、というシンプルな発想だった。1980年代からレコーディング現場などで親交のあったヴォーカリストを起用したのは、大野の歌が自由だから。それを確信したのは、彼女が板橋文夫(p)&米木康志(b)と活動しているユニット<itayoN’eri>のライヴを観た時で、終演後にオファーしたとのこと。以前から木管楽器とコラボレーションをしたいと思っていた大野は即快諾。唄いたいエリントン・ナンバーの候補曲を松本に告げ、前例のないトリビュート・チューンが産み落とされたのである。

ライヴも後半となり、エリントン作品の中でもポピュラーな名曲「Mood Indigo」をエレガントに演奏するも、時折、怪しげなシーンが見え隠れ。続く「Lotus Blossom」は、大野が“蓮の花は泥が深ければ深いほど美しく咲く”というコンセプトを元に友人のAndrew Gebertと歌詞を書いたヴァージョンを熱唱。お次はエリントンがショーのラストに口にしていた決め台詞がタイトルの楽曲「Love You Madly」でクライマックスを作り、会場の熱もさらに上昇。そして、歌詞に出てくる主語の“I”を“He”に変え、客観的な視点で歌い上げた「Lush Life」でエンディングを迎える。
鳴り止まない拍手に応え、メンバーが再登場したものの、アンコール曲を用意していなかったため、1部で演奏した「Easy To Love」を再演した彼ら。松本が次にスポットを当てたい音楽家がコール・ポーターだと告白し、プロジェクトの第2弾を最後に匂わせたのである。

大盛況だったアルバム発売記念ライヴの終演後には多くの人が興奮した面持ちでCDを買い求めていた。豊かな音の響きを重視し、ヨーロッパの小さな教会を彷彿させる“サローネ・フォンタナ”という、通常はクラシック音楽の演奏会をメインに行っているホールで一発録りしたアルバム『Duke on the Winds feat.Eri Ohno』を聴いた購入者は、改めて、独創的な美に浸っていることだろう。
「ジャズというカテゴリーに縛られず、ひとつの音楽として楽しんでいただき“おおっ!”と思ってくれたら、それだけで充分です」
この言葉は幅広い音楽ファンの耳に届いて欲しいと願う松本治からのメッセージ。大野えりをはじめ、メンバー全員の想いも同じはずだ。

ライター:菅野聖